教会の頭はイエス

(コロサイ 1:18 ERVからの直訳)彼が体の頭であり、それが教会である。彼が全ての始まりで、誰よりも先に、死から復活した人である。だからこそ、全てにおいて、彼が一番重要なのである。

(1コリント 12:27ALIVE訳)そこで、私は次のことを言いたいのだ。つまり、あなたがたは共に、救世主という1つの体であり、1人1人が、なくてはならない部分である、と。

 

自分を頭にしようとする

(マルコ 12:1-9,12 ALIVE訳)イエスはなぞかけを用いて、ユダヤ指導者をはじめ、そこにいる群衆に教えた——「ある人がぶどう園を造り、ビジネスを始めた。まず、園の周りに垣根を造り、ワインを作るための穴を掘り、その上に見張り用のやぐらを建てた。彼は、何人かの農夫を雇い、そのぶどう園を任せてから旅に出た。(2)やがて、収穫の時期が来ると、園長は自分の分け前を取らせに、雇われ農夫たちのところへ使いにだした。(3)雇われ農夫は、到着した使いに分け前をわたし、敬うべきところだが、使いを袋叩きにし、手ぶらで送り返した。(4)そこで園長は別の使いを遣わしたが、結果は変わらず、農夫たちは使いの顔をぶん殴って、侮辱した。(5)それでもこらえた園長は、また別の使いを遣わしたが、今度は殺されてしまった!園長は農夫たちのもとへ、何度も何度も使いたちを遣わしたが、彼らはことごとく袋叩きにしたり、殺したりと残忍極まりないことを続けた・・・(6)もはや園長に使いは残っていなかった。 こうなったら!と最終手段をとることにした。それは、最愛の一人息子を送り出すことだった・・・。(非情な農夫たちもわが息子なら敬意を払ってくれるはずだ・・・)との考えからだ。(7)ところが・・・雇われ農夫たちはとんでもないことをたくらみ始めた。“こいつぁ、驚いた。園長のガキじゃあねぇか!いいこと思いついた!このぶどう園はいつか、跡取りのこいつのものになる。ならいっその事、こいつを殺しちまえばいいじゃあねぇか。そうすりゃあ、このぶどう園は俺たちのもんよ!!ガハハハハ——”(8)農夫たちは彼を捕えて殺害し、その遺体をぶどう園の外に放り捨ててしまったのだ!(9)この後、園長はどうすると思う・・・?さすがの園長も堪忍袋の緒は切れ、ぶどう園にすっ飛んで農夫たちを殺す。そして、他の人を雇うだろう。 (12)(ッ!あやつ、もしや・・・んぬ゙ぅぅぅ・・・)ユダヤ人権力者たちの顔が真っ赤になった。この例え話の悪い農夫は自分たちを指しているのだと気付いたからだ。それからどうやったらイエスを逮捕できるか、必死に良い口実を探っていたが、途端に民衆の反感を買うことを恐れ、イエス拘束を諦めることにした。その場を立ち去る背中はなんと小さいことか・・・。

 

教会を頭にしようとする        

(マルコ 11:28-33 ALIVE訳)「答えなさいッ!! あなたにどんな権限があるのですか、えェ? 誰の権限でこれらのことをしているのかと聞いているのですよッ!!!」(29)「・・・その前に質問がある。答えるなら、誰の権限で動いているか、私も教えましょう。(30)教えてくれ、洗礼者ヨハネが人に洗礼を授けていた時、彼の権限が神から来たのか、人から来たのか答えなさい」(31)ユダヤ権力者たちはイエスの質問についてヒソヒソ相談し始めた—— 「もし“ヨハネの洗礼は神から来たもの”だなんて答えてみなさい、やつはきっと“ではなぜ、ヨハネを信じなかった?”なんてほざくに違いありません・・・。(32)くっ、しかし、ヨハネの洗礼が人の権限によるものだなんて、言いたくても言えませんね・・・・・・」 大多数の人が洗礼者ヨハネは神に召された預言者だと信じていたのを知っていたお偉いさん方は、民衆を敵にまわすことを恐れていたのだ。(33)「ゴホッ、ゴホン。えぇ、我々は存じておりませぬ」 「そうですか!では、私も答えるまい!」

 

イエスが頭になるとき、全てが健康になる

(エペソ 4:15-16 ALIVE訳) むしろ、誠実に語り、誠実にふるまい、誠実に生きて、常に真理に従うのを喜び、あらゆる点で、救世主のように、すなわち、教会の頭である方にますます似た者となるのだ。(16)このイエスの指揮下で、体全体がみごとに組み合わされ、各器官はそれぞれ特別な方法で他を助ける。それは、体全体が健康になり、成長して、愛にあふれるためである。

 

(コロサイ 3:15-17 ALIVE訳)救世主からくる調和で心と生活を満たすんだ。調和によってあなたはイエスの体と繋ぎ合わされているからだ。どんな時も感謝を忘れずに。(16)救世主の教訓を心の根底に植え、知恵を尽して教え合い、助言し合い、心から神に感謝し、詩篇の歌でもイエスを讃える歌でも神の霊から来た歌でもいいからとりあえず讃えるんだ!(17)口を動かすにしても、足を動かすにしても、ただ王・イエスのためにあるべきであり、いつでもどこでもイエスの名によって父なる神に感謝するんだ!