とっても、とっても良いお父さん

良い、良いお父さんの心の約束?
「アバ」– パパ =世界中で使われる言葉
(詩篇 68:4-6 JCB)神に賛美の歌をささげなさい。雲に乗って来られる方に、声高らかに歌いなさい。喜びを満面にたたえて、この方の前に出なさい。(5)きよいお方である神は、父親のいない子の父となり、未亡人の訴えを公正に取り扱ってくださいます。(6)身寄りのない者に家族を与え、囚人を牢獄から解き放ち、その口に喜びの歌をわき上がらせてくださいます。しかし、神に背く者の行く手には、ききんと悩みが待っています。

(ヨブ 29:16a JCB)貧しい者には父親のようになり、

– 力のない者のお父さん
(ルカ 18:27 ALIVE訳)「人間にできないことが神にはできる!」イエスは、仲間たちの疑問を断ち切った。

Q:どのようにイエスはお父さんのことを明らかにするのか?
A.例え話、写真、比喩
B.自らを通して
(ヨハネ 14:8-9 JCB)今度はピリポが口をはさみました。「先生。あなたのお父様を見せてください。それだけで十分ですから。」(9)「ピリポ。こんなに長くいっしょにいるのに、わたしがどういう者かまだわからないのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。それなのにどうして父を見せてくださいなどと言うのですか。

Q:どのようなお父さん?ルカ15の例え話
A:とっても、とっても良いお父さんは2人の息子がいた。二人とも的を外してしまった。でもお父さんは二人とも愛していた。

1.年下の息子
(ルカ 15:12, 18-24 JCB)ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。あなたが亡くなってからでなく、今すぐ財産の分け前がほしいんです』と言いだしたのです。それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。(18)そうだ、家に帰ろう。帰って、お父さんに頼もう。「お父さん。すみませんでした。神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。(19)もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。」』(20)決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。ところが、家まではまだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿をいち早く見つけたのです。『あれが帰って来た。かわいそうに、あんなみすぼらしいなりで。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄って抱きしめ、口づけしました。 (21)『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』(22)ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。(23)それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。(24)死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして祝宴が始まりました。

2.年上の息子
(ルカ 15:25-32 JCB)ところで、兄のほうはどうだったでしょう。彼は、その日も畑で働いていました。家に戻ってみると、何やら楽しげな踊りの音楽が聞こえます。(26)いったい何事かと、使用人の一人に尋ねると、(27)『弟さんが帰って来られたのです。だんな様は、たいへんなお喜びで、肥えた子牛を料理し、ご無事を祝う宴会を開いておられるのです』というのです。(28)事情を聞いて、兄は無性に腹が立ってきました。家に入ろうともしません。父親が出て来てなだめましたが、(29)兄は父に食ってかかりました。『私はこれまで、お父さんのために汗水流して働いてきました。お父さんの言いつけに、ただの一度もそむいたことはありません。なのに、友達と宴会を開けと言って、子やぎ一匹くれたことがありますか。(30)ところが、遊女におぼれてあなたのお金を使い果たした弟のためには、最上の子牛を料理して、お祭り騒ぎをするのですか。』 (31)すると、父親は言いました。『いいか、よく聞きなさい。おまえはいつだって、私のそばにいたではないか。私のものは全部おまえのものだ。(32)考えてもみなさい。あれはおまえの弟なのだよ。死んだと思ってあきらめていたのが、無事に帰って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、お祝いするのはあたりまえではないか。』」

とっても、とっても良いお父さんから年下の息子へのメッセージ
「全部赦されてる、戻ってきて息子のように生きろ

とっても、とっても良いお父さんから年上の息子へのメッセージ
「いつでも息子だぞ、あなたとは違うタイプの人も愛していきなさい」

俺たちは良い、良いお父さんの「息子」と「娘」
(ガラテヤ 4:4-7 ALIVE訳)しかし、時が熟すと、神が女を通して一人子を遣わした。そして彼は完全に掟の下にあった。(5)それは、掟の奴隷になっていた私たちを買い戻し、自由の身とするためであり、神の子どもとして迎えてくれるためなのだ。(6)このように、父である神は、子である私たちの心に、神の霊を送ってくれた。そのおかげで、今では恐れ多くも神を“父さん”と呼ぶことができるのだ!(7)私たちは、もはや奴隷ではない。神の子ども。子どもであるからには、神の持っているものはすべて、私たちのもの。これが神の計画だ!

良い、良いお父さんを知ろう
(ローマ 5:8 ALIVE訳)しかし、神の偉大な愛は違った。私たちがまだ、自己中だったとき、つまり神の敵だったときに、救世主は私たちのために死んでくれたのだ。