良い知らせor悪い知らせ

Lifehouse Tokyo

October 19th, 2016

良い知らせor悪い知らせ

パート2

鍵となるみことば

(ガラテヤ1:6)私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。

(テトス2:11-12 リビング訳)というのも、永遠の救いという神からの一方的な恵みは、だれにでも提供されているからです。(12) しかも、この恵みをいただくと同時に、神が私たちに望んでおられることも実現するのです。それは、神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て去って、日々神を敬う正しい生活を送ることであり..

 

(ガラテヤ1:6-9 ALIVE訳)みなさんは救世主(キリスト)を通して救われたばかりだというのに、我々が伝えたイエスについて行くための道からはやくも足を踏み外し、今となっては全くの別者の言葉を聞いているとはいったいどういうことだ。あまりの早さに驚きを隠し切れない。(7)救世主(キリスト)についての真理をゆがめ、あなたがたを惑わしている人たちがいることは知っている。あなたがたが耳にしている知らせは、最高の知らせ(ゴスペル)ではなく、むしろ悪い知らせだ。(8)唯一の最高の知らせ(ゴスペル)を伝えたとき、救われたではないか。誰であれ、その救いに関して何か付け加えをしようものなら、仮に私や天使であれども、神に呪われる。(9)もう一度言おう。だれであれ、みなさんが受け入れた最高な知らせ(ゴスペル)に反することや何か付け加えたものを教える人は神に呪われるように。

文化の背景(宗教的)

混乱を招いた(ギリシャ語:タラッソ)混ぜる、かき混ぜる(水)

福音を誤解させようとする(ギリシャ語:メタストレフォ)逆転させる、土台を歪める。他の形式に変える、偽装する

 パウロの例

割礼

(ガラテヤ2:3-5)彼らは、それを承認してくれたばかりでなく、私の仲間テトスも受け入れた。テトスは外国人であったにもかかわらず、彼らはユダヤ人の法律に従うこと、すなわち割礼を強要しなかった――【割礼:男の生殖器の包皮の一部を切り取る儀式】(4)

イエスの信者(クリスチャン)といいながら実際、そうでない連中がいるからこそ、注意しなさい。彼らはまるでスパイのように教会に馴染み、イエス・救世主(キリスト)に属すことで得た私たちの自由を、どうやったら奪えるか観察している。私たちを奴隷のように従わせたいがために、なにが正しくてそうでないかと無駄に議論をしかけたがる。(5)しかし、外国人であるあなたたちに伝えられる、最高な知らせ(ゴスペル)が少しも曲げられることがないように私たちは、一切連中の話に耳を貸さなかった。

 

食べ物の律法

(ガラテヤ2:11-13 ALIVE訳)ところが、その岩のペテロが三大都市アンテオケに来た時、非常に誤った行動をとったので、私は面と向かって注意した。(12)岩のペテロは、初めのうち、割礼にもユダヤ教のさまざまな法律にも無縁である外国人のイエスの信者(クリスチャン)と一緒に食事をしていた。ところが、あとからヤコブの友人であるユダヤ人たちが何人かやって来ると、彼らにとやかく言われるのを恐れ、外国人と食事をするのをやめてしまった。そのユダヤ人たちは、法律を守ることを重んじる形式主義者で、救われるためには割礼を受けなければならない、と主張していたからだった。(13)すると、ほかのユダヤ人のイエスの信者(クリスチャン)も、まさに偽善であり、よくないと分かっているくせにペテロに流され、励ましのバルナバまでが流されてしまったのだ。

 

ユダヤ教の律法に従うこと

(ガラテヤ2:15-16、17-21)もちろんあなたも私も生まれながらのユダヤ人。罪人とみられるような外国人じゃあない。(16)だが、私たちユダヤ人であるイエスの信者(クリスチャン)だって、モーセ法を守ったからではなく、ただ罪を取り除いてくれたイエス・救世主(キリスト)を信頼することでのみ、神に認められたのではないか!だから私たちもイエス・救世主キリストを信じたのだ。それは、法律によってではなく、イエスへの信頼によって神に認められるため。私がこう断言するのは、法律を守って救われる人など1人もいないからだ!”(17)しかし、もし、救世主(キリスト)と築いた関係に信頼をおく私たちが、あとになって、それは間違いだった、やっぱり法律を守らなければ救われない、とわかったとしたらどうなる?救世主(キリスト)を信じたおかげで、意味もなくさんざんな目に会ったことになるわけだ。そう言うわけで法律の代わりに救世主(キリスト)に従う事で外国人の罪人だと思われるなら、それでよし。しかしながら救世主(キリスト)は私たちを過ちに導いているなんて、全くのウソなのだ!(18)だが、もし前に破棄されたモーセ法を守ることで救われようとする道をひき直そうとするなら、それこそ立派な罪だ!(19)私は法律によってルールの下敷きになっていた。私は神のために生きるため、救世主(キリスト)と共に十字架にかかり、心を縛っていた法律は死んだ。(20)もはや、私の中にあった我心がしんが死に、救世主(キリスト)に与えられた心が生き生きしているのだ。私の心が生きているのはただ、忠実な神の一人子が私を愛し、身を捧げてくれたおかげだ。(21)私は、神の恵みである救世主(キリスト)の死をムダにはしない。もし私たちが、法律を守ることで救われるなら、救世主(キリスト)は無駄死にだ!

今日のたとえ?

  1. 音楽、服装、喜び、楽しみ