お父さんから受け取る

(ヨハネ 7:37-38 JCB)祭りの最後の一番大切な日に、イエスは大声で群衆に語りかけました。「だれでも、渇いているなら、わたしのところへ来て飲みなさい。(38)わたしを信じれば、心の奥底からいのちの水の川が流れ出ると、聖書に語られているとおりです。」

(ルカ 15:11-24 JCB) イエスはもっとよく説明しようと、また別のたとえも話されました。「ある人に息子が二人いました。(12)ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。あなたが亡くなってからでなく、今すぐ財産の分け前がほしいんです』と言いだしたのです。それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。(13)もらう物をもらうと、何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、遠い国に旅立ちました。そこで放蕩に明け暮れ、財産を使い果たしてしまいました。(14)一文なしになった時、その国に大ききんが起こり、食べる物にも事欠くようになりました。(15)それで彼は、その国のある人のもとで、畑で豚を飼う仕事をもらいました。(16)あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べる物をくれません。(17)こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。『お父さんの家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうに。なのに自分は、なんてみじめなんだ。こんな所で飢え死にしかけている。(18)そうだ、家に帰ろう。帰って、お父さんに頼もう。「お父さん。すみませんでした。神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。(19)もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。」』 (20)決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。ところが、家まではまだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿をいち早く見つけたのです。『あれが帰って来た。かわいそうに、あんなみすぼらしいなりで。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄って抱きしめ、口づけしました。(21)『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 (22)ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。(23)それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。(24)死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして祝宴が始まりました。

1. お父さんを知る
(ルカ 11:9, 11-13 JCB)祈りも同じです。あきらめずに求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。(11)パンをねだる子どもに、石ころを与える父親がいるでしょうか。魚が食べたいと言う子どもに、毒蛇を与える親がいるでしょうか。(12)卵がほしいと言うのに、さそりを渡したりするでしょうか。もちろん、そんなはずはありません。(13)罪深い人間でさえ、子どもには良い物を与えたいと思うのが人情です。そうだとしたら天の父が、求める者に聖霊を下さらないわけはありません。」

2. お父さんの家で自分の居場所を知る
(2 コリント 5:21 JCB) それは神様が、罪のないキリストに私たちの罪を負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったのですから。

3. 信じて疑わない
(マタイ 21:21-22 JCB)イエスはお答えになりました。「よく聞きなさい。あなたがたも、信仰を持ち、疑いさえしなければ、もっと大きなことができるのです。たとえば、このオリーブ山に、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。 22ほんとうに信じて祈り求めるなら、何でも与えられるのです。」